風からの知らせ
(親父の知らせ)

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未破裂脳動脈瘤クリッピング手術』の記録


応援して下さった人への感謝の言葉 



  
『それじゃあ今から麻酔を入れますね

その一言を聞いた瞬間、今までしていた普通の呼吸が出来ない!
一生懸命息をしようと吸い込むのだが…その動作が
出来ない。

息を吐いたまま止まってしまった。どうする事も出来ない。
きっと数秒の事だろうがこの時
身を委ねると云う事はこう云う事なんだ。
自分の意志とは関係なく身体がそうなる
もし怪我をしたりどうかなって、誰も頼ることなく死ぬって事はこう云う事かも…

今は落ち着かないまでも 身を委ねる人が居る。

そんな事を意外に冷静に考えていた。


このまま身を委ねよう…人生全てを…


昨年2008年の11月中旬頃、仕事を終えて家で床に就こうとした時、
後頭部に痛みを感じた。

丁度、夏にかき氷を口に頬張りその冷たさに耐えかねてか、
頭がズキーンとする経験を皆した事があると思うが
そんな痛みを二度程続けて覚えた。

その時瞬間で終わったので気にしなかったが

 
10年ほど前の深夜未明に激しい目眩で目が覚めて、
立つ事も出来ずトイレまで這って行き、嘔吐と冷や汗で病院へ運ばれた事があった。
目眩病? と診断され、その日の明け方には何事も無かったかのように
すっかり元気になり食事も摂れたが

病院も心配だったのか二泊の入院をさせられた覚えがある。

 
 
その時から自分もそうなのだが、
妻も実家の母も僕の頭の事となると神経質に気を遣うようになっていた。

だから今回の頭痛も妻に話したら『診て貰ったら…』


 翌日、近くの病院へ足を運んでいた。
若い先生だが、頭の事だから…とMRIを翌週行い、
更にその翌週診察。 

今までそうだった様に何事も無く帰れるつもりで診察室に入ると、
レントゲン写真を見ながら、僅かに解
る白い点を指差して、
気になるから脳神経外科で見て貰うように、
と隣の科への紹介状をその場で書いて貰い診察を受けた。



 脳動脈瘤を知っていますか?
石原裕次郎の病気を知っていますか?
九分九厘、間違いなく脳動脈瘤です。それも結構大きい、

良く見つかりましたねぇ、


ラッキーですよ、貴方は…


えっ!



それからは本を読みあさり、PCで調べて、
手術はおお事で身体の不随、後遺症、
何よりも『死』の確立も少なからずある事を知り、妻へ打ち明け相談、

それでも生への思いを賭けて一生を左右する事だから…と
先生を探し直接お願いして、
後は見つけてくれた先生にお願いし紹介状を書いて貰って手術を待った。


先生は世界でも権威ある方で、半年間の手術待ちとなったが、
その間二度の検査と診察を行い、大丈夫ですよ…と、

穏やかに話される方でとても信頼が置けた、
が、やはり不安は常にあり苛立つ事もあって、
その事で妻とも時々喧嘩をした。

 

診察の時、手術までの間、
何か気を付けることはありますか?と
先生に聞いた事があるが、普段通りでいいけど、
奥さんと喧嘩しない事だね…と云われた事を思い出す

すべてお見通しの先生に更に信頼を置く事が出来た。

兄弟、母、打ち明けたのは手術が近くなった頃だが、
父親が脳溢血で58歳で亡くなっていたので、
皆、心配してくれるのとと同時に、
早く見つかって良かった事を、

『親父の知らせ』

との思いと重ねていた。

 


 2009年6月1日、朝9時45分、家族に付き添われて病室を出て手術に向かう。
意外に落ち着いていたし、歩きながら次にこの廊下を出てくる頃は
すっかり良くなっている事を信じていた。

家族と握手をして別れ、手術室に入るとインターンが居て賑やかだ。
所詮他人事?何だろう。
そう思いながらも、しっかり俺の手術を見て、勉強しろよ、
と思ったかどうかは定かでないが学生たちになんとなく愛着を感じていた

 
後は事前に説明を受けていた通り、
手術用の細いベッドに横になり、身体に色々装着されて点滴用の針を刺され、
名前の確認、医師同士の手術計画の確認などが行われ、
淡々と事が進み5分ほどが過ぎた。



『それじゃ今から麻酔の薬を入れますね』

その一言を聞いた瞬間、今まで普通にしていた呼吸が出来ない!
一生懸命、息を吸おうとするのだが、

全く出来ない…


こういう事なんだ…


身を委ねると云う事は、こう云う事なんだ。

このまま任せよう…


もしかしたらこのまま…そうも思ったような気がする。

そう心で思った瞬間、目が覚めていた。
『終わりましたよ』
『有難うございます。何か問題はありましたか?』……

入院用のベッドに移され、朝歩いた廊下をベッドに横たわって通っている。
特に痛みも感じず、身体の異変も無く、
朝歩いて向かった廊下を病室に向かって帰っている。
壁が見える、窓から空も見える、人が歩いている、一杯居る、
現実だ。その時始めて、あれほど不安を抱いていた手術が終わり、
生きている事を実感し、
その安堵の後は、吐き気と何とも言えない気持ち悪さを感じていた。
その後の入院生活は、仕事とは言え献身的に我儘を聞いてくれる看護師の皆さんと、
仕事を休んで毎日のように通ってくれた妻のお陰で快適に過ごす事が出来、

感謝です。

そうして今の自分があります。

脳動脈瘤の診断が下された時に抱えていた運命を、
家族以外の皆に話そうかどうしようか迷いながら、
結局話せば皆に気を使わせるだろうな…と
自分勝手な思いで打ち明けずに居ました。

もし倒れた時の病名の書いたメモを肌身離さず手に持って…

 

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